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October 16, 2004

12時過ぎると魔法が解けちゃうかもよ

現在午後10時@PTです。東海岸ではまだ野球やってますが、午前1時過ぎに観衆はどうやって帰るんだろ、と余計な心配をしながらヤンキース@レッドソックスをテレビ観戦しながら更新します。 野球バカの習性で、両方とも大嫌いなチームなのについついチャンネルを合わせてしまいましたが、どちらかといえばヤンキース応援気味です。 中日ドラゴンズに移籍しかけてたケビン・ミラーを、FAXで送っただけの契約書は無効だもんね、とかケチつけて横取りされて以来レッドソックスは大っ嫌いになりました。

レッドソックスのGMやってるエプスタインさんががんばりに頑張って読売バリに選手を集めてきてもヤンキースに勝てず、ワールドチャンピオンにもなれない万年ワイルドカード球団の呪いは、 半永久的に続いてもらっても結構、と最近思うようになってきました。

【ベイエリアを変えた15秒】

1987年10月17日夕方、ベイエリアはサンフランシスコから家路を急ぐ車に混じり、後に"ベイブリッジ・シリーズ"と呼ばれるワールドシリーズ第2戦、 アスレチックス対ジャイアンツを観ようとするファンが当時のSFジャイアンツの本拠地・キャンドルスティックパークへ向っていた。 午後5時17分、轟音と共に地面が横揺れした。海洋プレートと大陸プレートが水平に走るサンアンドレアス断層のほか、数本の活断層が南北に走るベイエリアでは、1906年サンフランシスコ・ダウンタウンを焼き払った大地震の後も地震が定期的に発生していたため、 瞬時にそれを地震と認めたが、次の瞬間、これまでにない大きな縦揺れに見舞われ、15秒後揺れが収まると・・・。

1989年に起きたサンフランシスコ地震・通称"Loma Prieta earthquake"から明日で15年だそうです。現カーディナルス監督のトニー・ラルーサは、 当時アスレチックスの監督としてキャンドルスティック・パークのフィールドに。「その日のことなら全部話すと1日じゃ済まないぐらいだよ」と前置きしつつ、 アスレチックスWebニュースのインタビューに応じた。 ラルーサは最初、地震ではなくファンが異常に盛り上がって球場が揺れていたと思ったらしいです。それがSF市内で12人の命を奪った、マグニチュード6.9の大地震と気付いたのは次の瞬間だった、と話していました。

またSFクロニコルでは、"15 Seconds that Changed San Francisco" というタイトルの特集記事を今日から6回シリーズで掲載しています。 第1回目の今日は、サンフランシスコの海の玄関、フェリーターミナルとその周辺についてでした。 記事を読んでみると、地震があったからこそ、海と街を切っていた高速道路を取り壊すことが出来、サンフランシスコの街並みを一変させたという、肯定的な見方をしています。

大地震は大きな被害を残しました。対岸のオークランドでは、通勤中の車が崩壊した立体高速道路に挟まれサンフランシスコ市内以上の死者を出していますし、 地震の結果ベイブリッジは一部が崩れるなど、交通網はかなりやられています。しかしその復旧段階において様々な議論が起こり、検討の結果今のすばらしいサンフランシスコが出来、 車社会だったサンフランシスコが少しずつですが車が要らない街へと変貌していったのではないか、と思います。地元住民には不評だった、海と街を分ける壁のような立体高速"Embarcadero Freeway"がなくなった後の海沿い、 特にフェリーターミナル周辺の再開発の結果、人の流れが変わり、人々がリクリエーションを兼ねて岸壁へ戻ってきたのは今のサンフランシスコをみれば明らかですし、 ベイブリッジが通行止になったため唯一の海峡横断手段となった地下鉄BARTに通勤客が流れて、その後鰻登りで増えていった車の量に対しても朝夕の渋滞は激しくはなっていないはずです。

地震後の再開発は、地震後住民の声を採用していった結果、アメリカお得意のスクラップ・アンド・ビルドがうまくいった例になると思います。 こういうの日本では・・・ちょっと無理っぽいんじゃないんじゃないかな、と。末端の声が反映されている行政システムになっているように見えても、 実際そんなのが機能しているところ見たことも聞いたこともないですし。行政システムが未熟なだけとかいろいろいわれますが、 そんな一言では済まされない何かが日本の行政、特に街づくりをダメにしてますよ。

・・・とかたまにはソレらしいこと書いてみましたが、疲れてしまいましたので、ごめんなさい、今日はこれにて。