Friday, July 22, 2005

【etc.】フィルム原理主義者の所信表明


(The Embarcadero@Bryant St., San Franciscoにて、P30tにFuji Provia 100Fで撮影。)

久しぶりにこっちを更新することになります。写真の方しか見ない方お待たせいたしました、というよりはごめんなさい。もうちょっとがんばります。

 冒頭の写真とは関連性が全くない話ですが、ここではブログ形式を使ってるため、鮮度が命だから写真は撮ったらすぐ貼らなきゃ、と頭の片隅では考えているんですが、デジカメで電子的に記録され、Photoshopで加工された絵は写真としてお見せしたくはないんです。でもどこかでイメージを電子化しないとここに貼付けできませんので、作品として取り扱う本命の写真は、少なくともフィルムで撮影すれば、絵がネガ(ポジ)として残り、多少のごまかしはできますが、フィルムを見ればビフォーアフターの記録が一目瞭然ですので、撮ったという事実自体を物理的に消し去ってやりなおすことができるデジタルよりはまだいいかな、と感じます。

 なぜフィルム原理主義者を名乗り出したかというと、インプレス・PC Watchに連載されている、「山田正平のRe:Config.sys」という連載コラムで去年の11月に取り上げられた「デジタルデータの確からしさ」の中で、JOCの公式写真を撮影しているある写真家が、撮影した写真からオブジェクトを消し去った上で公開したことを取り上げていたから。

 写真とは事実を忠実に記録し、それを忠実に受け手に伝えるある意味二流のメディア、という解釈のもと写真を撮っていますので、この記事に取り上げられた行為は写真家としてあるまじきこと、と受け止めています。デジタルは「修正」できるからね、と平気で事実を変えてしまうような人間に写真家とかカメラマンを名乗ってほしくはないし、そんな人に事実を伝える写真を売ることでお金を稼がせるなど持ってもほか。そしてそんな行為が簡単にできてしまうデジタルカメラで撮った写真は写真なんてものではなく、ただのデジタルデータだ、という時代錯誤も甚だしい短絡的な見解かもしれませんが、ようはデジカメとPhotoshopを使ってできることをやり始めたら、基礎の基礎である写真を撮る技術そのものが必要なくなってしまう上、ごまかしがきいてしまうことから人間的にダメになってしまいそうですので、記録写真といわゆる「本気」の写真はデジタルでは撮るつもりはありません。「写真」本来の意味合いや「事実を忠実に伝える」という目的がない、いわゆるフォトコラージュを作る時には惜しみなく最大限にPhotoshopを使いますが。

 休眠期間をカウントするとここを始めて間もなく1年が経つというのに、その間に暗室で引き延ばす楽しさを見つけた上、その過程で現像薬品のにおいが鼻についてしまったので、印画紙やフィルム、消耗品等を買い続けた結果、写真を電子化する道具まで手が出せず、未だにラボでCD焼いてもらっている状態ですので、写真をお見せできるのが撮影してからかなり後になってしまいます。そろそろその辺の機材をそろえ始めますのでご期待を。

2 Comments:

Anonymous said...

こんにちは。temomi-kenです。

デジタルデータの画像はソフトで修正ができるため、撮影者の意図の表現としてより完成度を高めることができます。

今回の例で挙がっていたオリンピックの写真は、被写体をより強調するための修正であり、伝えたいメッセージ(この場合では躍動する選手)について修正を加えている訳ではない(本当に修正を加えていないかは定かではないが)との主張を全否定できないと私は考えます。

一方、修正を加えた事実を知ったときのがっかり感や、「なぜ修正を加えたか」を考えた時に感じる「商業主義(さらにいうと拝金主義)」というものは、写真という「事実を写し取る行為」からはかけ離れているとも思います。

ただし、ハッキリと言える事はあります。
それは、この修正行為は「安易」であるという事です。
易きに流れれば、所詮その程度のものといわれても仕方の無いことです。
この観点で言えば、私もフィルム原理主義です。

8:06 AM PDT  
PESS said...

temomi-kenさん、こんばんは。
遅くなりましたが、コメントありがとうございます。

この例に挙がっていたのは、銀塩でいう暗室内でのクロップに当たるような、事実をまるで変えてしまうようなものではないですね。例としてあげるのは少々強引だったかもしれません。

ただ、ジャーナリストがデジタルの画像データを改ざんするという行為は、イラク戦後処理の取材などで結構問題になっているようで、LAタイムズのカメラマンがあからさまな合成写真を作り、それが1面記事になってしまったためにクビになったようです。

やはりtemomi-kenさんがおっしゃるとおり、デジタルデータの改ざんは安易であり、リンク先記事の後半にあるように、デジタルデータを取り扱うという行為は、そのデータの改ざんを心理的に安易にしすぎてしまう何かが潜んでいるような気がしてなりません。

12:03 AM PDT  

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